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【特集・戦争と大學 第3回】戦争像を捉え直す「戦後文学」 国家への協力と反省

  戦時下を生きた文学者はどのように戦争に関わったのか。そして敗戦を経験し、戦後社会において戦争をいかに捉え直していったのか。本学日本文学研究室の仁平政人准教授に話を聞いた。



◇ ◇ ◇



 文学者による戦争への反応は多様であり、時期によっても変化するため、唯一の傾向を見いだすことは難しい。ただし、日中戦争前の35年頃、文壇は「文芸復興」が唱えられる状況にあり、戦争を強く意識する者は多くなかった。



 しかし、日中戦争勃発以後、反戦や厭戦(えんせん)をうたう表現は規制され、文学者は個人の思想に関わらず皆、国家との一体化を迫られる。この時期、彼らの中には戦地に赴き、文筆活動によって戦況を発信する「ペン部隊」として活動する者がいた。この動きは終戦まで続く。日中戦争はすべての文学者にとって必ずしも肯定的なものではなかった。アジアの解放者を標榜する日本が実質的な侵略戦争を進めていることに彼らが気付いていたからである。



日本近現代文学専門の仁平政人准教授


 この考えすらも一変させたのが、41年に始まる太平洋戦争だ。これにより、多くの文学者にあった侵略戦争への抵抗意識が消失。この戦争に、帝国主義的な英米らを相手とした、アジア解放のための「聖戦」であるという大義ができ、それまで政府への協力に消極的であった文学者の多くも体制側に流入した。



 戦況の激化により、表現の統制はさらに強化されていった。反戦との関連が薄くとも、時局に消極的な内容であれば規制の対象となり、表現の幅はさらに狭くなる。谷崎潤一郎の『細雪(ささめゆき)』が連載中止に追い込まれたことは、この時代を象徴する事件の一つだ。また、戦意高揚出版物が推奨され、そこに多くの紙が配分されたことで、表現活動のためには時局に協力的にならざるをえない状況が作り出された。このように、終戦までの日本では表現の可能性が政府によって日を追うごとに制限される。



 45年8月。さまざまな意識をもって戦時下を過ごした文学者は、それぞれの終戦を迎える。個人の程度の差こそあれ、戦時体制に協力した彼らは強く批判された。この当時、横光利一が山形での文筆活動から、『夜の靴』を通して敗戦の痛みを表現したことをはじめ、自身の戦争協力を徹底的に反省する者も現れる。



 さらに、戦前・戦中に若年層であった者が「戦後文学」を作り上げていく。表現方法は多岐にわたるが、文学者の一部は戦争による日常の崩壊を描き、もたらされた非日常の経験を、戦時以前の文学とは異質な文体で表現する事例が見られた。兵士として戦地に赴いた野間宏や大岡昇平の著作には、自身の経験を通した新たな表現が見られる。その他、旧植民地出身である安部公房は、超現実主義的な表現を模索した。



 戦時下の統制により日本の文学は停滞。戦後、自由な表現が認められた世で生まれたのが戦後文学だ。文壇と一般社会が文学作品に見いだす意味は必ずしも一致しないため、「戦後文学」が誕生当時に持った社会的影響は大きくなかったかもしれない。しかし、そこには現代の私たちが持つ戦争像を相対化し、捉え直させる力がある。



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