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【書評】『ジョゼと虎と魚たち』 田辺聖子 角川文庫

 なんだかんだ中学時代は、恋愛にそこまで自覚的ではなかったように思う。振り返った時に初めて、その激しさに気付く。だから、当事者はぼんやりしたまま、静かに恋は終わっていく。



 しかし、リアルタイムでその存在を意識してしまう高校時代の恋愛は、つらい。これでもかというほどの熱情が、自分自身の内に隠れていたことに驚き、戸惑う。やり場のなくなった感情を持て余し、相手にぶつけ、お互いに傷だらけのまま、無理やりにでも恋を終わらせようとする。

 そして、大学時代。周囲の環境が変わり、自分の世界が一気に広がる。忙しいけれど、満ち足りた、そんな日々の隙間に、終わった恋がようやく顔を出す。「忘れかけた歌が、とぎれとぎれに鳴る古いオルゴールみたいなものである」。本作の最初に収録された「お茶が熱くてのめません」の一文、主人公の女性が昔の男から電話をもらった際の表現である。

 本作は全9編から成る恋愛短編小説集だ。主人公は仕事を持った女性が多い。無視することができない自らの生活があるからこそ、女性たちの恋愛は滋味豊かな、そしてエロティックな香りを漂わせる。

 表題作「ジョゼと虎と魚たち」のジョゼが、筆者は特に好きだ。下肢の麻痺により車椅子生活を送るジョゼはわがままで、恋人の恒夫に言いたい放題だが、不思議なほど魅力的に描かれている。「うすうす知ってた」の、妹の結婚相手を見て心乱される夢見がちな梢も、「恋の棺」の、元夫に二重人格と評された宇禰も、もし現実に存在していたら、素直に好きと思える自信がない。しかし、恋愛の渦中にいる彼女たちを、読み手は好きにならずにはいられない。相手の男たちも平凡そのものなのだが、恋をする彼女たちの視線を介すると、「こんなの好きになっちゃうよ」と妙に納得してしまう。恋の魔法とは、言い得て妙である。

 山田詠美さんの解説も、小説に負けず劣らず色気がある。大人になっても、恋愛の本質は子どもの頃と同じまま、甘美で、苦しくて、切ないものなのかもしれない。良質な恋愛小説は、読み手の現在のみならず、その人の生涯を丸ごと包み込む優しさがある。

 作者の田辺聖子さんは6月6日にこの世を去った。けれど、本作を読み終えた時、田辺さんの伝えたかった思いが分かる気がした。恋愛は、いい。終わった恋を慈しみ、ふと雨上がりの空を見上げれば、もう夏が始まっていることに気付く。
文芸評論 7619307298083213558
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