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【特集・戦争と大學 第1回】東北帝大「学部疎開」 裏付ける公文書 見つかる

 今年8月、本学史料館の加藤諭准教授が、1945年6月に東北帝大が学部機能の一部を宮城県志田郡志田村(現在の大崎市)に移転したことを公式に示す資料を発見した。本学において、公文書として「学部疎開」の記録が見つかったのは今回が初めてだ。


人事発令した教職員を記録する「任免」。
上申の記録が残っていたのは厚い記録の
一枚目。同資料には、任命される人の
職歴などもまとめられている


 資料は「任免」という45年6月に人事発令した教職員を任命する記録。同月1日付、当時の広浜嘉雄法文学部学部長から熊谷岱蔵総長に上申する形で、「右ハ志田郡志田村二於ケル本学部研究分室ノ事務ヲ嘱託スルモノナリ」と記されている。志田郡志田村に位置する法文学部の「荒田目分室」で勤務する事務嘱託職員として、同村で商店を営んでいた加藤栄之丞さんを充てるという内容だ。加藤准教授によると、当時の法文学部では研究教育の機能がほぼ形骸化しており、工場で兵器を製造するといった「学徒勤労動員」が盛んに行われていたという。その一環として、県内の農地に行き農作業の手伝い(援農)をするグループがあったが、そのチームの拠点にこの分室がなっていたのではないかと加藤准教授は話す。日中には援農を、夜間には分室で文系の講義を行っていた可能性もあると指摘した。



 学部疎開の記録としては「東北帝国大学 法文学部研究室 荒田目分室」と書かれた木でできた看板が既に見つかっていたが、これは加藤栄之丞さんの家族が本学に寄贈したものであった。



 加藤准教授は、「学部疎開の資料をはじめ、当時の法文学部の会議などの記録は残っていないものが多い。仙台空襲で焼けてしまったのか、別の過程で無くなったのかさえよく分かってはいない」として、当時の大学の様子を伝える同資料の貴重さと文書管理の重要性を述べた。




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